日本では横山典弘騎手が、逃げている馬の位置を一度下げたあと(主に残り800~400m付近でペースを落としたあと)ゴール前で差し切るレースを行い「逃げて差す」「変化自在」「神騎乗」などと評される騎乗を行うことがありますが(2014年の安房特別など)、コーゼンもこの手の騎乗をよくしていました。実際のところは、両騎手とも「逃げて差している」といった感覚はないでしょう。馬の気分やリズムを尊重し、そのうえで他の騎手の仕掛けに惑わされない騎乗を行った結果だと思います。「結果として」逃げて差しているように見えるだけです。
以下の1989年のレース(1989/8/25)はその典型。見事というほかありません。
(以下の動画7:40~のレース)
コーゼンはレスター・ピゴットやパット・エデリー、日本にもたびたび短期免許で来日したマイケル・ロバーツらを相手に、このような変化自在な騎乗をして結果を出し続けました。
以下の1990年レーシングポストトロフィー(2歳G1)も、道中は逃げて先頭から、直線ではいったん他馬を先に行かせ、最後の最後にハナ差だけ図ったように差し切ったレースです。
コーゼンは「逃げ」でヨーロッパのレースを勝ちまくりました。英ダービーや仏ダービー、愛ダービーなどのクラシックレースでの逃げでの勝利は有名ですが、他のG1レースなどでも絶妙のペース配分と駆け引きを武器に、逃げて勝ったレースが山のようにあります。これだけ「逃げ」によってヨーロッパで勝利を収めた騎手は、他に一人も存在しません。同じくアメリカからヨーロッパに移籍して大活躍したキャッシュ・アスムッセン (Cash B.Asmussen) も逃げでの勝利はコ―ゼンほどありません(大レースでは特に)。「アメリカの騎手だからヨーロッパの騎手より逃げに抵抗が無かった」といった理由で逃げて勝ちまくることが出来たわけではないのです。
◆1985年 イギリスダービー(スリップアンカー)
◆1987年 イギリスダービー(リファレンスポイント)
◆1989年 アイルランドダービー(オールドヴィック)
◆1989年 フランスダービー(オールドヴィック)
ペース判断能力(いわゆる体内時計)が正確無比といえる程ずば抜けて優れていたという側面も、当然あるのでしょう。しかしそれ以上に、おそらくコーゼンは、自らの馬が使える脚の量(どれくらい脚が残っているか)とゴールまでの距離を他の騎手以上に、正確に把握できていたのだと思います。ですから、他馬の仕掛けに惑わされることが無い。自らの馬の脚を使わせ切ってゴールさせることに集中している。これもコ―ゼンの天才といえる部分でしょう。
自らの馬が使える脚を正確に把握し、他の騎手に惑わされず自分の馬の脚を使い切ることが出来るという意味では、逃げではなく道中2番手で進めたレースではありますが、以下の2レースも「同じこと」をさせているのかもしれません(他のエントリーで取り上げたレスター・ピゴットとの叩き合いとなったレースと、1990年にJCに来日したBelmezで勝利したレース)。
コ―ゼン以前にも以後にも、欧州でこれだけ「逃げ」で勝った騎手は一人もいませんし、今後も二度と出ることはないでしょう。