1990年のキングジョージでは、スティーブ・コーゼンとマイケル・キネーン、そしてイギリスに遠征中だった日本の柴田政人が激しい叩きあいを見せました。特に、コーゼンとキネーンの叩きあいは本当に見応えがあります。
1着はキネーン騎乗のベルメッツ (Belmez) 真ん中
2着はコーゼン騎乗のオールドヴィック (Old Vic) 内側
コーゼンが騎乗したオールドヴィックは、前年の1989年にフランスダービーとアイルランドダービーをコーゼンと共に制覇したサドラーズウェルズの初年度産駒です。勝ち馬ベルメッツもコーゼンが主戦を務める3歳馬でしたが、このレースではコーゼンがオールドヴィックを選択したため、キネーンに乗り替わり。
アサティスに騎乗したのは、日本から遠征していた柴田政人。柴田政人のキングジョージ3着も、もう少し語られてもいい業績だと思うのですがね・・・。今のところ、日本人騎手でキングジョージ最高着順は武豊の2着(ホワイトマズル、1994年)です。空馬の影響で追い出しがモタついてしまったなど後味の良いレースでは無かったからかもしれませんが、こちらも、凱旋門賞(6着)の騎乗に比べるとあまり話題にならないような気がします。
・1994年のキングジョージ
話を1990年のキングジョージに戻しますが、このレースの直線の攻防は本当に見ごたえがあります。
・叩き合いになった後、前に出たキネーンがまず外側にベルメッツを動かして馬体を離す。
・キネーンが再度ベルメッツを内側に導き馬体を合わせに行く。同時にコーゼンも外にオールドヴィックを導き、もう一度馬体を合わせに行く。
・いったん馬体を合わせた後、右鞭から即座に左鞭に持ち替えてコーゼンがもう一度オールドヴィックを内側へ誘導し差し返す(ただし差し返しているとはいえ、脚色は完全に劣勢)。
・キネーンも最後まで一切油断せず、内のオールドヴィックにもう一度ベルメッツの馬体を合わせに行き、首差差し切ったところでゴール。
コーゼンのフォームも相変わらず凄まじいの一言。
以前のエントリーでも触れたように、コーゼンの足は馬体に対して垂直のまま、足が馬体に突き刺さっているかのごとく軸が微動だにしない。それでいて、キネーンの倍近く上下に身体を動かす。馬の動きとコーゼンの動きも完璧に同期している。リズムは寸分たりとも狂いません。馬体を合わせに行くときも再び離しにかかるときも、鞭を持ち替えて入れながらでも、アスコットの直線600mの坂を上りながら、こうした芸当をコーゼンは「当たり前」にやっていたのです。
このレースでも分かりますが、コーゼンは見せ鞭の使い方が巧みで鮮やかです。上記動画の2:41~の箇所では、臀部に鞭を入れて一度だけ見せ鞭を使い馬を誘導しています。
以下の1982年のプリンスオブウェールズS(コーゼン22歳)では、騎乗馬の左臀部への鞭→左前の見せ鞭→左臀部への鞭→左前の見せ鞭・・・を残り200m付近からゴールまで淀みなく、一定のリズムで繰り返しています。そしてゴールインの瞬間に左前の見せ鞭が来るようにピッタリとタイミングを合わせて騎乗馬 (Kind Of Hush) を導き、最後に鼻差で差し切って勝利させています。
・1982年 プリンスオブウェールズS(直線ラスト400mのみの映像)
話をキングジョージに戻します。コ―ゼンが騎乗したオールドヴィックは、このレースを最後に引退。キネーンが騎乗した勝ち馬ベルメッツは次走 Great Voltigeur Stakes に、再び主戦であったコーゼン騎乗で出走して勝利。その後、凱旋門賞5着を経て、1990年のジャパンカップに一番人気で出走、結果は8着でした。
このジャパンカップには5歳(旧6歳)のオグリキャップも出走し、11着に惨敗。そして1ヶ月後、引退レースとなった有馬記念を当時21歳の武豊とともに勝利します。
また同じく1990年は19歳のランフランコ・デットーリがレスター・ピゴット以来、イギリスで10代での年間100勝を達成し、初G1制覇も達成しました。
さらに言えば、サンデーサイレンスが引退して日本に来たのも1990年。
後から振り返ると1990年は、世界の競馬史にとって大きな転換点となった年と言えるでしょう。
・コーゼンがベルメッツに騎乗して勝利した次走 (1990年 Great Voltigeur Stakes)
・1990年 ジャパンカップ