2023年に公開されたコーゼンのイギリス競馬殿堂入り記念動画において、元イギリス人騎手レイ・コクレーン (Ray Cochrane) はコーゼンについて「レースの戦術面でも圧倒的に優れていたが、同時に本当にクリーンに乗る騎手だった。彼が他の馬の邪魔をしているところを見たこともないし、レース後にコーゼンが他のジョッキーと口論しているところを一度として見たことはなかった」と語っていますが(2:30~)、コーゼンの騎乗はとにかく「丁寧」で「繊細」、それでいて「大胆」です。1983年の Dubai Champion Stakes や1990年の William Hill Cambridgeshire Handicap、1992年のイギリス1000ギニー(2着)が典型ですが、どれだけ馬群が密集していても、一頭分のスペースさえあれば、他馬に一切の不利を与えることなく瞬間的にそのスペースへ進出して抜けてくる。それでいて安全策や「そつのない騎乗」とは無縁で、考えられないようなところに躊躇なく突っ込んでいく。大逃げもシンガリ一気もお手のもの。まさに「繊細」かつ「大胆」、それが最高度に両立している騎手だったわけです。それは、本当の意味で「正確」な騎乗ができたということでもある。奇を衒うとか、騎乗技術を見せつけようとか、派手に勝って馬の力を過度に見せつけようとするような姿勢は微塵も感じさせません。騎乗センスと騎乗技術が突出しているために、派手に勝たせているように見えることがあるだけで、コーゼン本人はあくまで最も「理に適った」選択をレースごと、馬ごとに行っていただけだと思います。
◆スティーブ・コーゼンのイギリス競馬殿堂入り記念動画
以下の 1986年 Bovis Handicap (5f, 約1000m, アスコット競馬場) もそのひとつ。
このレースは、スタート後に不利があり位置取りを下げるのですが、すぐに体勢を立て直して馬群の外側に進出。そこから内側へ、隣の馬の脚色を見ながら進路ができた瞬間に移動することを続け、最後に2着馬に馬体をピタっと合わせて(合わせられる馬場中央に馬を移動させて)追い込みを封じて勝利しています。
以下は、1985年のStable Stud and Farm Stakes (7f, 約1400m, ニューベリー競馬場) です。1983年のDubai Champion Stakes や 1990 William Hill Cambridgeshire Handicap、1992年のイギリス1000ギニーほどの一頭分あるかないかのギリギリのスペースに突っ込むような厳しいレースではありませんが、20頭以上の馬が密集しているレースで、後方から追いながら徐々に進路を確保して内ラチ沿いから外へ出し、最後はアタマ差、きっちり差し切っています。
1988年のイギリスオークス (12f, 約2400m, エプソム競馬場) の最後の直線でも、本当に丁寧に馬を動かしています。イギリスオークスを含めてGⅠを3勝することになるディミニュエンド (Diminuendo) に騎乗して圧勝したレースです。このイギリスオークスでの最後の直線、馬群の大外から一気にラチ沿いに切れ込んでいくのですが、その切れ込み方、進路の取り方が、あまりに鮮やかで全く無駄が無いのです。最後の直線を向いてから、外から内へ一頭いっとう、内側の馬の横にピタっと付ける→内側の馬が下がる→瞬時に内側の馬の前を横切り、その内にいる馬のよこにピタっと付ける・・・を繰り返して内ラチ沿いに進出。圧勝するだけの脚がある馬で、不利なく内側に移動するなどトップジョッキーにとっては当たり前の技術と言われればそれまでなのですが、コーゼンは本当に他馬に一切の不利を与えずに、隣の馬より前に出た瞬間、進路ができた瞬間にスッと横に動くのです。馬の姿勢も、コーゼンの姿勢も全く乱れることがありません。ここまで時間的・空間的な無駄がなく馬の進路変更を行える騎手は、本当に稀だと思います。
G1レースではありませんが、 1991 Trusthouse Forte mile (1m, 約1600m, サンダウン競馬場) にも触れておきます。5頭立ての少頭数のレースです。コーゼンと共にGⅠを4勝することになるインザグルーヴ (In the groove) に騎乗して最後方からの競馬。少頭数のレースですが(だからこそ)、馬群は密集しています。直線に向いた後、前の馬と接触スレスレの位置で微妙に位置を変えながら我慢。そして、外に至後ろの馬が下がり切った瞬間に、スッと外へ完全に出してから追い出し、差し切って勝利しています。横に0.5頭分、外に出すところも含めて、コーゼンの姿勢も馬の姿勢も、全く乱れることが無い。手応えはあったはずなので、もっと大味な進路取りをしても勝てていたのでしょうが、そういったことは決してやらず、これ以上無理だろうというくらい繊細で緻密な進路取り、他馬との間合い取りを行っています。
国内外を問わず、名手と呼ばれる騎手であっても、このような状況下で進路を確保するとき、馬の首が上がったり、騎手のフォーム(軸や手の位置)が乱れたり、脚のない馬に接触(アタック)したりと、何らかの「乱れ」が見られるものです。しかし、コーゼンにはそれが本当にありません。簡単な状況で、簡単なことを、簡単にやっているように見えますが、これくらいのスペースを、これほど滑らかに、そして「常に」移動できる騎手は、ほとんどいないでしょう。
以前のエントリーで、1978年にアファームドで制したケンタッキーダービーの1コーナーの捌きについて軽く触れたことがありますが、コーゼンの馬群捌きは道中であれ最後の直線(追い出し後)であれ、本当に丁寧かつ大胆。他馬に不利も与えず、時間的・空間的な無駄がない。つまり、本当の意味で「正確」な馬群捌きができる騎手だったことが分かります。
最後に、1992年10月4日、引退直前のコーゼンによる、コーゼン最後の重賞制覇の騎乗について。コ―ゼンはロンシャン競馬場の1992 Ciga Prix du Rond-Point (ロンポワン賞)を、前年1991年のBCジュヴェナイルを圧勝して大騒ぎとなったアラジ (Arazi) と勝利しました。4コーナーを回り、左前の緑の勝負服の馬に進路を塞がれないよう「スッスッスッ」と軽く手綱を動かしてアラジの進路を確保し、すぐに手を「持ったまま」の状態に戻す。持ったままの状態でアラジが先頭に立つと、慌てることなく、そこから本格的に追い出しを開始。このとき、追いながら手綱を長めにスルスルと持ち直し、じんわりと追い出しています。
◆1992年 ロンポワン賞(最終コーナー~最後の直線のみの映像)
ブッちぎりの圧勝ですが、ここでも「粗さ」が一切ない進路確保、馬の誘導、追い出しのタイミング、手綱を絶妙に使った追い方、寸分狂わぬ軸とリズム、鞍はまり。40秒ほどの映像ですが、「滑らか」という表現がこれ以上なく相応しい、肌理の細かい騎乗に感嘆します。どのようなレースであっても、コーゼンは「荒い・粗い」騎乗を見せることはありませんでした。そして、1992年をもって、32歳でスティーブ・コーゼンは現役を引退しました。