スティーブ・コーゼンの軌跡

英米でリーディングに輝き、5か国のダービーを制覇した天才騎手スティーブ・コーゼン (Steve Cauthen) に関する情報を記載します。

「繊細」かつ「大胆」、真の意味で「正確」な騎乗②ーディミニュエンド (Diminuendo) と制した英・愛オークス、アラジ (Arazi) と制した最後の重賞制覇 ほか ー

先のエントリーで、コーゼンの騎乗はとにかく「丁寧」で「繊細」、それでいて「大胆」、本当の意味で「正確」な騎乗だと書きました。

その観点から言うと、ディミニュエンド (Diminuendo) で勝利した2つのオークス (1988) も素晴らしい。1988年のイギリスオークス (12f, 約2400m, エプソム競馬場) の最後の直線でも、本当に丁寧に馬を動かしています。イギリスオークスを含めてGⅠを3勝することになるディミニュエンド (Diminuendo) に騎乗して圧勝したレースです。このイギリスオークスでの最後の直線、馬群の大外から一気にラチ沿いに切れ込んでいくのですが、その切れ込み方、進路の取り方が、あまりに鮮やかで全く無駄が無いのです。最後の直線を向いてから、外から内へ一頭いっとう、内側の馬の横にピタっと付ける→内側の馬が下がる→瞬時に内側の馬の前を横切り、その内にいる馬のよこにピタっと付ける・・・を繰り返して内ラチ沿いに進出。圧勝するだけの脚がある馬で、不利なく内側に移動するなどトップジョッキーにとっては当たり前の技術と言われればそれまでなのですが、コーゼンは本当に他馬に一切の不利を与えずに、隣の馬より前に出た瞬間、進路ができた瞬間にスッと横に動くのです。馬の姿勢も、コーゼンの姿勢も全く乱れることがありません。ここまで時間的・空間的な無駄がなく馬の進路変更を行える騎手は、本当に稀だと思います。

◆1988年 イギリスオークス

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大外から進出開始。内側の白い勝負服の馬が下がるのを待つ。

白い勝負服の馬が下がった瞬間に内側へ一頭分進出、隣の緑の勝負服の馬の横へ。
(緑の勝負服の馬の横ではいったん止まっていないように見えるが、よく見ると実際はほんの一瞬、止まって緑の馬が下がるのを待っている)

緑の勝負服の馬が下がった瞬間に、その前に進出。

瞬時に白い勝負服の馬の横へ移動。白い勝負服の馬が下がるのを一瞬待つ。

白い勝負服の馬が下がった瞬間、その前の進路へ移動。

全ての馬を「舐めるように」交わし、そのまま独走態勢へ。

イギリスオークス後に出走したアイルランドオークス (12f, 約2400m, カラ競馬場)でも、外から内側に切り込む際に、接触スレスレのところで隣の馬の前に出ている。そして内から進路を主張する馬の邪魔をしないまま先頭に接近。そして本格的に追い出し開始。追い出し開始時は長手綱、最後の追い比べでは短い手綱と、手綱の長さを自在に変えて追っている。その切り替えも鮮やかです。最後はなんと1着同着。

◆1988年 アイルランドオークス

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長手綱で追い出し開始

となりのシャドーロールの馬をほんの僅か前に出てから交わす

内から進路を主張する馬(赤帽)を邪魔しないまま馬を追う

残り200m手前でパッと手綱を短く持ち直す

残り200mから本格的に追い出し開始

最後は同着でゴールイン

最後に、1992年10月4日、引退直前のコーゼンによる、最後の重賞制覇の騎乗について。コ―ゼンはロンシャン競馬場Ciga Prix du Rond-Point (ロンポワン賞)を、前年1991年のBCジュヴェナイルを圧勝して「セクレタリアトの再来」だと大騒ぎになったアラジ (Arazi) と勝利しました。4コーナーを回り、左前の緑の勝負服に進路を取られないよう「スッスッ」と手綱を動かして進路を確保し、すぐに手を元に戻す。そのままアラジが先頭に立つと、慌てることなく、そこから本格的に追い出しを開始。その際、追いながら手綱をスルスルと長めに持ち直し、じんわりと追い出しているところも本当に丁寧です。

◆1992年 ロンポワン賞(最終コーナー~最後の直線のみの映像)

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軽く手綱を動かしてアラジの進路を確保

進路確保後、すぐに手を「持ったまま」の状態に戻して、追い出しをギリギリまで待つ

残り400mを切ってから、あらためて本格的に追い出しを開始。

手綱を少し長めに持ち替えて、じんわりと追い出す
(追いながらスルスルと手綱の長さを変えている)

これが現役最後の重賞制覇

ブッちぎりの圧勝ですが、ここでも「粗さ」が一切ない進路確保、馬の誘導、追い出しのタイミング。そして、ディミニュエンドのアイルランドオークスとも共通する、手綱の長さの切り替えの的確さと鮮やかさ。40秒ほどの映像ですが、きめの細かい騎乗に感嘆します。どのようなレースであっても、コーゼンは「荒い・粗い」騎乗を見せることはありませんでした。レース全体を通しての判断や馬上での所作が、時間的にも空間的にも限界ギリギリまで無駄がなく、それでいて思い切りが良い。「美しい」というより「鮮やか」という言葉が相応しい騎乗のような気がします。もちろん、大スランプの時期もありましたし、本人からしたら「上手く乗れなかった」と感じたレースの方が多かったのでしょうが(コーゼン本人に聞いたら「ほとんどのレースは納得していない」と答える可能性もある)、コーゼンが引退してから30年以上が経った今の時点から見直しても、これほど「正確」で「鮮やか」な騎乗を行うことができた騎手が存在したことに、レースを見返せば見返すほど、私は驚かされるのです。

1976年にアメリカでデビューしてから16年後の1992年、32歳でスティーブ・コーゼンは現役を引退し、その後、二度とターフに戻ってくることはありませんでした。

追記 (1991 Newgate Stud Middle Park Stakes)

2着のレースですが、コーゼンの馬群捌きの技術が見られるレースをご紹介します。

1991年の Newgate Stud Middle Park Stakes です。コ―ゼンはシェイク・モハメドの勝負服の馬 Lion cavern に乗っています。残り200mから追い出すのですが、ラチ沿いから4頭分、馬群の外側へ一気に追いながら移動しています。この間、一度もブレーキを踏まず、「ピタッ」と移動後に止まったときも手綱を動かし続け、そのまま最後まで追っています。馬の顔や首も進路変更時に上がったりすることもありません。サラッとやっていますが、これほど見事な進路変更を行える騎手は殆ど存在しないでしょう。

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ラチ沿いから追い出し開始

ここで「ピタッ」と止まる。止まっても馬の首は全く動かない。
しかも手綱の動きも止めることなく、そのまま追い続ける。

何度も書いていますが、道中であれ最後の追い合いであれ、コーゼンが馬群を捌くときは時間的・空間的な無駄がありません。余計に動きすぎて他馬に不利を与えることもない。このレースでも余分に外に出すようなことは一切せず、先頭の馬の右側一頭分のところでピタッと止まる。しかもその際に、馬の顔や首が全く動きません。それでいて追いっぱなしで全力疾走させ続けています。極めて高度な技術です。こういう捌きができるからこそ、40頭立て最後方から馬群を捌いて勝つような神業の如き騎乗ができるのです。

「繊細」かつ「大胆」、真の意味で「正確」な騎乗①ー1985 Stable Stud and Farm Stakes, 1986 Bovis Handicap ほかー

2023年に公開されたコーゼンのイギリス競馬殿堂入り記念動画において、元イギリス人騎手レイ・コクレーン (Ray Cochrane) はコーゼンについて「レースの戦術面でも圧倒的に優れていたが、同時に本当にクリーンに乗る騎手だった。彼が他の馬の邪魔をしているところを見たこともないし、レース後にコーゼンが他のジョッキーと口論しているところを一度として見たことはなかった」と語っていますが(2:30~)、コーゼンの騎乗はとにかく「丁寧」で「繊細」、それでいて「大胆」です。1983年の Dubai Champion Stakes1990年の William Hill Cambridgeshire Handicap1992年のイギリス1000ギニー(2着)が典型ですが、どれだけ馬群が密集していても、一頭分のスペースさえあれば、他馬に一切の不利を与えることなく瞬間的にそのスペースへ進出して抜けてくる。不利を与えるなどの乱暴な騎乗とは無縁ですが、それでいて安全策や「そつのない騎乗」とも無縁で、考えられないようなところに躊躇なく突っ込んでいく。大逃げもシンガリ一気もお手のもの。まさに「繊細」かつ「大胆」、それが最高度に両立している騎手だったわけです。

それは、本当の意味で「正確」な騎乗ができたということでもある。「そこしかない」という場所に、瞬時かつ的確に動いていく。あるいは、「最初からそこにいる」。空間的にも時間的にも無駄が無い。これこそ、真の意味で「正確な騎乗」と言えるでしょう。「結果として」派手な勝ち方に見えるレースであっても、奇を衒うとか、騎乗技術を見せつけようとか、派手に勝って馬の力を過度に見せつけようとかする姿勢は微塵も感じさせません。騎乗センスと騎乗技術が突出しているために、派手に勝たせているように見えることがあるだけで、コーゼン本人はあくまで最も「理に適った」選択をレースごと、馬ごとに行っていただけだと思います。

◆スティーブ・コーゼンのイギリス競馬殿堂入り記念動画

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以下の 1986年 Bovis Handicap (5f, 約1000m, アスコット競馬場) もそのひとつ。

このレースは、スタート後に不利があり位置取りを下げるのですが、すぐに体勢を立て直して馬群の外側に進出。そこから内側へ、隣の馬の脚色を見ながら進路ができた瞬間に移動することを続け、最後に2着馬に馬体をピタっと合わせて(合わせられる馬場中央に馬を移動させて)追い込みを封じて勝利しています。

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前の馬が急に下がったせいで不利を受ける
(それでも軸は一切ブレず、膝下は馬体に対して垂直のまま)

即座に体勢を立て直して中団から進出開始

馬群の外側に進出

シャドーロールの馬2頭を含め、他馬の進路をいっさい邪魔せず徐々に内側へ移動

馬場中央で追い上げてきた2着馬を待つ(接触・アタックなどは一切なし)

叩き合いに持ち込む(いつもの90度の足腰のまま上半身は弾む)

アタマ差で勝利

以下は、1985年のStable Stud and Farm Stakes (7f, 約1400m, ニューベリー競馬場) です。1983年のDubai Champion Stakes1990 William Hill Cambridgeshire Handicap1992年のイギリス1000ギニーほどの一頭分あるかないかのギリギリのスペースに突っ込むような厳しいレースではありませんが、20頭以上の馬が密集しているレースで、後方から追いながら徐々に進路を確保して内ラチ沿いから外へ出し、最後はアタマ差、きっちり差し切っています。

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見せ鞭も見事に使ってアタマ差の差し切り

 

G1レースではありませんが、 1991 Trusthouse Forte mile (1m, 約1600m, サンダウン競馬場) にも触れておきます。5頭立ての少頭数のレースです。コーゼンと共にGⅠを4勝することになるインザグルーヴ (In the groove) に騎乗して最後方からの競馬。少頭数のレースですが(だからこそ)、馬群は密集しています。直線に向いた後、前の馬と接触スレスレの位置で微妙に位置を変えながら我慢。そして、外に至後ろの馬が下がり切った瞬間に、スッと外へ完全に出してから追い出し、差し切って勝利しています。横に0.5頭分、外に出すところも含めて、コーゼンの姿勢も馬の姿勢も、全く乱れることが無い。手応えはあったはずなので、もっと大味な進路取りをしても勝てていたのでしょうが、そういったことは決してやらず、これ以上無理だろうというくらい繊細で緻密な進路取り、他馬との間合い取りを行っています。

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前の馬の背後で後ろの馬が下がり切るのを待つ。

後ろの馬が下がった瞬間に、後ろの馬の前に進出。

外の馬にいっさい接触なしで進路確保し、追い出し開始。

国内外を問わず、「名手」と呼ばれる騎手であっても、このような状況下で進路を確保するとき(特に前の馬の真後ろに入り込んだとき)、馬の首が上がったり、騎手のフォーム(軸や手の位置)が乱れたり、脚のない馬に接触(アタック)したりと、何らかの「乱れ」が見られるものです。しかし、コーゼンが馬群を捌くときは、そうした「乱れ」が本当にみられません。簡単な状況で、簡単なことを、簡単にやっているように見えますが、これくらいのスペースを、これほど滑らかに、そして「常に」移動できる騎手は、ほとんどいないでしょう。

以前のエントリーで、1978年にアファームドで制したケンタッキーダービーの1コーナーの捌きについて軽く触れたことがありますが、コーゼンの馬群捌きは道中であれ最後の直線(追い出し後)であれ、本当に丁寧かつ大胆。他馬に不利も与えず、時間的・空間的な無駄がない。本当の意味で「正確」な馬群捌きができる騎手だったことが分かります。

 

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史上最高の馬群捌き ー1990 William Hill Cambridgeshire Handicapー

私はこのレースこそ、スティーブ・コーゼンのベスト騎乗だと思います。

コーゼンの名騎乗、特に馬群捌きの凄さで有名なのは、先の記事でも取り上げた1983年のDubai Champion Stakesだと思いますがー密集した馬群をこじ開ける凄みはDubai Champion Stakesの方が上かもしれませんがー、一瞬の迷いもない進路選択と進路変更、真一文字に切り結ぶようなブレーキを一切踏まない馬群捌き、前の馬の背後ギリギリまで接近して一瞬で横に進路を変えて最後の一頭を交わし去るときの「神技」…。これらすべてが凝縮されている点において、今回取り上げるレースこそ、私はコーゼンのベスト騎乗だと考えます

距離は1m1f(約1800m)、ニューマーケット競馬場で行われた直線のみの伝統のレース。40頭が出走している、戦争みたいなレースです。

コーゼンはこのレースで道中39番手を進み、全頭をなで斬りにしました。

しかも人気が割れていたとはいえ、最終的にはコーゼンの馬が一番人気(日本式で単勝8.5倍くらい)。人気薄だから気楽に乗ったレースではありません。更に付け加えるなら、レース2週間ほど前に急遽乗ることが決まった「テン乗り」です(コーゼンが騎乗した Risen Moon の成績を見ると、これが引退レースで前走はパット・エデリーが騎乗、コーゼンはこのレースが最初で最後の騎乗です)。

「余計なことをするなら最後方から行って、40頭を交わせばいい」

「3頭立てだろうが40頭立てだろうが、千八は千八。仕掛けどころも何も変わらない」

そんな乗り方を、テン乗りの一番人気の馬で実行し、1ミリの無駄もない騎乗で勝たせました。これくらいのことを当たり前のようにやってのける騎手だからこそ、18歳でアメリカ牡馬三冠制覇、25歳でイギリスダービー大逃げで圧勝などを実現できたのでしょう。

残り600m付近から追い出しを開始し、あっという間に前の十数頭を捌いてゴボウ抜きにしたところも凄いのですが、このレースの白眉は残り200m付近での瞬間的な進路変更だと思います。

この一瞬の進路変更は、神技だと思います。

初めてこの個所を見た時は、馬の顔が一瞬だけ動いたように見えたので「ん?」と違和感を感じたくらいで、進路変更していると気づくことができませんでした。

スロー再生して初めて、コーゼンが前の馬の背後、接触する寸前のところまで自らの馬を全力疾走させたまま接近させ、ギリギリのタイミングで瞬間的なワンアクションによって左側に進路を変えていることが分かりました。

 

以下ではレースの動画と画像を使ってレースを見ていきます。

コーゼン騎乗の Risen Moon は、ラチ沿いにいる白帽・緑の勝負服。

残り600mから、ラチ沿い最後方のコーゼンの白帽が、ラチ沿いから馬群中央までヒューーンと飛ぶように動いているのが分かります。

その後、前の馬群を捌いて、あっという間に先団に接近。

馬群から抜け出すと、前を行く青い勝負服の馬(馬群から抜け出したあと左から右にヨレてフラフラしている馬)の背後、接触寸前ぐらいのギリギリの箇所で、全力疾走している自らの馬の進行方向を右側から左側にノーブレーキ、ワンアクション、「目にもとまらぬ速さ」で変更しています。

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残り600m。最後方から進出開始。

飛ぶように右側に一気に進出。

馬群の間を縫って

前の白いシャドーロールの馬の後ろに入り、

瞬時に左側に進路変更してシャドーロールの馬を交わす

先行集団に接近

左鞭を入れて馬場の中央(前の馬の右側)へ進出。前の馬は左から右にフラフラとヨレる。

左鞭を入れる(まだ前の馬の右側に進行中)

鞭を入れた直後に左手を手綱に持っていく

左手で手綱を持つと同時に僅かに左側に引く

ワンアクションで瞬間的に馬一頭分、左に進路変更(ブレーキや減速ゼロ)

前の馬の左側に進路変更完了

追い出しから最後のひと捌きまでの間、一度もブレーキを踏まず、軸がブレることも一切ありません。馬の動きとコーゼンの動きがズレる(リズムが狂う)ことも、一切なし。そして、他馬に不利を与えたり、接触をしたりすることも、一切ありませんでした。

というより、残り600m地点の進出開始からゴールまで、一度も手綱を引いたり他馬と接触するような余計な動きをしていません。進路取りも然り。仕掛けからゴールまで「最短距離」、もっといえばスタートからゴールまで、これ以上無理だろうというくらい限界ギリギリの「最短距離」を走らせている。

馬群から抜け出してきたとき、コーゼンの左側は同時に抜け出してきた黄色の勝負服の馬に進路をふさがれています。同時に、右側からは反対側のラチ沿いの集団を走っていた馬がコーゼンの馬の方に急激に接近してきているため、左側もふさがれている。

しかし、コーゼンは一切慌てず、迷うことなくそのまま真っ直ぐ走らせます。

そして、前を走る青の勝負服の馬は、フラフラと左右にヨレながら走っているため、前もっての進路選択・進路変更が難しい状況だったわけです。それでもコーゼンは全く慌てず前の馬の背後ギリギリまで接近します。そして、以下のひと捌き。

私はこの捌きを見たとき、かつて名古屋競馬に所属していた伝説の騎手・坂本敏美の「 前の馬の後ろ足と、自分の馬の前足が絡まないようにぎりぎりのタイミング計ってね、さっと横にずらして抜いたのよ。神業。」というエピソードを思い起こしました。坂本騎手の馬群捌きの映像がないため比較ができず、コーゼンと坂本敏美が似た捌きをしていたのか、全然違う技術なのか(あるいはコーゼンの捌き以上の技術を坂本敏美は持っていたのか)、明確な根拠を元に比較ができないのが残念ですが・・・。

 

いずれにせよ、コーゼンの馬群捌きの技術は史上最高レベルのものだったことは間違いないと思います。
他の騎手でも、このレースを勝つことはできたかもしれません。

しかし、馬群捌き(特に最後の一頭を交わすとき)に、余計なアクションやブレーキ、進路選択の迷いが入ったはずです。それで数完歩はロスすることになる。

コーゼンはそうした淀みを1ミリも作らず、真一文字に馬群を切り裂きました。

あまり知られていないレースかもしれませんが、最後方から一気に前の数十頭を捌いて馬群から抜け出したところも含めて、世界の競馬史に残る馬群捌きだと思います。そして、私がスティーブ・コーゼンのベスト騎乗を選べと言われたら、迷わずこのレースを選択します。

もし興味を持たれたら、最後の進路変更の箇所は、動画の再生速度を一番遅くしてコマ送りでご覧になっていただきたいです。

 

※コーゼンが行ったもう一つの伝説の馬群捌きー1983 Dubai Champion Stakesー

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23歳のコーゼンによる伝説の馬群捌き ー1983 Dubai Champion Stakesー

「馬群をこじ開ける」という表現が、これ以上相応しいレースが存在するのか。

2022年にレーシング・ポストがコ―ゼンに対して行ったインタビューでも取り上げられていた、コーゼンの名騎乗として必ず名前が挙がるレース。圧巻の馬群捌き。

アスコット競馬場 1m 1f 212y (約2004m) で行われる伝統のG1レースです(現在は英チャンピオンSとして継続されているレース)。

最内シンガリにいるのが、弱冠23歳のコーゼン騎乗が騎乗する Cormorant Wood

とんでもない所を捌いてきます。これが23歳の騎手の騎乗なのか。

同レースに騎乗している他の騎手の顔ぶれも凄い。

80年代ヨーロッパ騎手のオールスターメンバーの様相です。レスター・ピゴットやフランスの至宝イヴ・サンマルタンランフランコ・デットーリの父親であるジャンフランコデットーリなども騎乗していました。

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下がってきた前の白い勝負服の馬を交わして最内へ

外に一頭分のスペースを見つけて外側に一頭分だけ移動

スペースに移動してから追い出し開始(他馬へ不利は一切与えていない)

前の赤い勝負服の馬が急激に外にヨレたため即座に対応

この状況で体勢も軸も崩さず、瞬時に前の2頭の間に進路変更

間髪入れず、すぐさま追い出し開始

2頭の間を割って頭差差し切ってゴール

馬群捌きの技術の凄さはもちろんのこと、これだけの馬群密集地帯でも慌てずに待ち、一頭分のスペースを見つけ出す冷静さと頭脳。自らの馬の進路変更時も、前の馬の影響で急に進路が塞がれたときの対応時も、一切ブレない軸。すぐに体勢を立て直しながら進路を探して2頭の間に突っ込む勘と判断力、そして胆力。このレースには、騎手・スティーブ・コ―ゼンの凄さが詰まっています。

なお、私は最初にこのレースを見た時、残り200m付近で馬群の密集地帯にコーゼンが進出を開始した際は(上記動画1:54~)、追いながら斜めに進行したのかと思いましたが、そうではありません。

上記動画のリプレイ部分を見るとよく分かりますが、最後に馬群の狭い箇所に進出する際、まず一頭分、安全に右側へ進路変更しています。そして進路変更後に追い出しを開始しています。

その後にブレーキをかけたのは、前にいる赤い勝負服の馬(17番)がラチ沿いから外にヨレて急激に進路変更したためです(上記動画の6:25~)。コ―ゼン自身に非はありません。それどころか、一瞬スペースが開いた瞬間いっさい他馬の邪魔をすることなく一頭分だけ進路変更しています。前の赤い馬の急な進路変更を受けて急ブレーキをかけますが、簡単に馬を御して態勢を立て直しつつ即座に進路を変更し、前2頭の間を割ったところがゴール

前2頭の間に1頭分の隙間を見つけてその進路に移動

前2頭が急激に右側に移動したため進路を塞がれる
この状況でもコ―ゼンの身体の軸はいっさい崩れない

瞬時に体勢を立て直し2頭の間のスペースに飛び込む

以下はリプレイ動画から。

1頭分のスペースを見つけて内から外に一頭分だけ移動

馬群が壁のように密集し、全ての馬が全力で走っている地点で自身は進路を塞がれながら、コーゼン自身は他馬にいっさい不利をあたえずに態勢を瞬時に立て直しつつ、一頭分のスペースを見つけて一切の無駄がない進路変更を行い、馬群をこじ開けました。これだけ冷静かつ的確な判断をして馬込みを捌ききったのは、まさに圧巻の一言。

この騎乗を契機にヨーロッパでも多くの関係者から声がかかるようになり、このレースから2年後の1985年、コーゼンは25歳でイギリスダービーを制覇することになります。後にフランケルも管理する名調教師ヘンリー・セシルとコンビを組み、スリップアンカー (Slip Ancor) に騎乗してイギリスダービー史上で69年ぶりの逃げ切り、それも大逃げでイギリスダービーを圧勝しました。このとき、世界の競馬史上で初めてイギリスダービーケンタッキーダービーの両方を制覇したジョッキーが誕生しました。

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ちなみに、このドバイチャンピオンSの2週間前、コーゼンは同じく Cormorant Wood に騎乗し、なんと逃げて勝たせています。コ―ゼンも「ゲートが開くまでどういうレースをするか分からない」変化自在のレースを行う騎手だったことが、この事実からも分かります。 

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※追記

以下の動画の56:49~から、定点カメラからの別アングルの映像を見ることができます。

下がってきた前の馬を瞬時に捌いてラチ沿いに進路変更し、馬群を縫って先頭まで突き抜けてくる様が、カメラの切り替えなしに克明に記録されています。

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コーゼンの神懸った馬群捌きが見られるもう一つのレース、1990年の William Hill Cambridgeshire Handicap については、以下のエントリーで詳しく書きましたので、ご興味のある方はご参照ください。

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スティーブ・コーゼン、マイケル・キネーン、柴田政人の追い比べー1990 King George VI and Queen Elizabeth Diamond Stakesー

1990年のキングジョージでは、スティーブ・コーゼンとマイケル・キネーン、そしてイギリスに遠征中だった日本の柴田政人が激しい叩きあいを見せました。特に、コーゼンとキネーンの叩きあいは本当に見応えがあります。

1着はキネーン騎乗のベルメッツ (Belmez) 真ん中

2着はコーゼン騎乗のオールドヴィック (Old Vic) 内側

3着は柴田政人騎乗のアサティス (Assatis) 外側

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コーゼンが騎乗したオールドヴィックは、前年の1989年にフランスダービーアイルランドダービーをコーゼンと共に制覇したサドラーズウェルズの初年度産駒です。勝ち馬ベルメッツもコーゼンが主戦を務める3歳馬でしたが、このレースではコーゼンがオールドヴィックを選択したため、キネーンに乗り替わり。

アサティスに騎乗したのは、日本から遠征していた柴田政人柴田政人キングジョージ3着も、もう少し語られてもいい業績だと思うのですがね・・・。今のところ、日本人騎手でキングジョージ最高着順は武豊の2着(ホワイトマズル、1994年)です。空馬の影響で追い出しがモタついてしまったなど後味の良いレースでは無かったからかもしれませんが、こちらも、凱旋門賞(6着)の騎乗に比べるとあまり話題にならないような気がします。

◆1994年のキングジョージ武豊ホワイトマズル2着)

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話を1990年のキングジョージに戻しますが、このレースの直線の攻防は本当に見ごたえがあります。

・叩き合いになった後、前に出たキネーンがまず外側にベルメッツを動かして馬体を離す。

キネーンが再度ベルメッツを内側に導き馬体を合わせに行く。同時にコーゼンも外にオールドヴィックを導き、もう一度馬体を合わせに行く。

・いったん馬体を合わせた後、右鞭から即座に左鞭に持ち替えてコーゼンがもう一度オールドヴィックを内側へ誘導し差し返す(ただし差し返しているとはいえ、脚色は完全に劣勢)。

キネーンも最後まで一切油断せず、内のオールドヴィックにもう一度ベルメッツの馬体を合わせに行き、首差差し切ったところでゴール。

コーゼンのフォームも相変わらず凄まじいの一言。

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以前のエントリーでも触れたように、コーゼンの足は馬体に対して垂直のまま、足が馬体に突き刺さっているかのごとく軸が微動だにしない。それでいて、キネーンの倍近く上下に身体を動かす。馬の動きとコーゼンの動きも完璧に同期している。リズムは寸分たりとも狂いません。馬体を合わせに行くときも再び離しにかかるときも、鞭を持ち替えて入れながらでも、アスコットの直線600mの坂を上りながら、こうした芸当をコーゼンは「当たり前」にやっていたのです。

キネーンが馬体を離しにかかる

キネーンが再び内に寄せると同時にコーゼンも馬体を合わせに行く

コーゼンが左鞭に持ち替えて再び馬体を離しにかかる

キネーンも油断せずもう一度馬体を合わせに内へ寄せていく

ベルメッツとキネーンが首差で勝利

このレースでも分かりますが、コーゼンは見せ鞭の使い方が非常に巧みで鮮やかです。上記動画の2:41~の箇所では、臀部に鞭を入れて一度だけ見せ鞭を使い馬を誘導しています。

内に移動しながら馬の臀部に鞭を入れる

即座に鞭を前に持ってくる

身体の軸がブレないまま馬の左前で見せ鞭を使う

以下の1982年のプリンスオブウェールズS(コーゼン22歳)では、騎乗馬の左臀部への鞭→左前の見せ鞭→左臀部への鞭→左前の見せ鞭・・・を残り200m付近からゴールまで淀みなく、一定のリズムで繰り返しています。そしてゴールインの瞬間に左前の見せ鞭が来るようにピッタリとタイミングを合わせて騎乗馬 (Kind Of Hush) を導き、最後に鼻差で差し切って勝利させています。

◆1982年 プリンスオブウェールズS(直線ラスト400mの映像のみ)

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馬の臀部に鞭を入れ、その流れのまま手を前に持っていく

左前で見せ鞭

流れを止めず臀部に鞭を入れる

流れるように左手を馬の左前に持っていき見せ鞭

左の見せ鞭を差し出したタイミングで鼻差の差し切り

話をキングジョージに戻します。コ―ゼンが騎乗したオールドヴィックは、このレースを最後に引退。キネーンが騎乗した勝ち馬ベルメッツは次走 Great Voltigeur Stakes に、再び主戦であったコーゼン騎乗で出走して勝利。その後、凱旋門賞5着を経て、1990年のジャパンカップに一番人気で出走、結果は8着でした。
このジャパンカップには5歳(旧6歳)のオグリキャップも出走し、11着に惨敗。そして1ヶ月後、引退レースとなった有馬記念を当時21歳の武豊とともに勝利します。
また同じく1990年は19歳のランフランコ・デットーリがレスター・ピゴット以来、イギリスで10代での年間100勝を達成し、初G1制覇も達成しました。
さらに言えば、サンデーサイレンスが引退して日本に来たのも1990年。
後から振り返ると1990年は、世界の競馬史にとって大きな転換点となった年と言えるでしょう。

・コーゼンがベルメッツに騎乗して勝利した次走 (1990年 Great Voltigeur Stakes)

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・1990年 ジャパンカップ

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アメリカ三冠制覇ーコーゼンとアファームドの1978年ー

アファームド (Affirmed) とアリダー (Alydar) のライバル関係や、18歳のスティーブ・コーゼンによる史上最年少での三冠達成に関しては、関連する話題が書かれている記事や文章がたくさんありますが、ここでも触れておきます。

1978年、デビュー3年目に入り18歳になったコーゼンは、2歳時からコンビを組んでいたアファームドと共にアメリカ牡馬三冠を達成しました。これはシアトルスルーに続いて2年連続での三冠馬誕生でもあります。

以前、以下のエントリーでデビュー2年目のコーゼンとアメリカ時代のフォームについて触れました。

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アファームドの三冠レースの映像だと、よりコーゼンの道中の姿勢の素晴らしさが分かりやすいです。他の騎手と道中の姿勢が一人だけ違います。本当に静止画像のように姿勢が真っ平のまま乱れません。

プリークネスステークス

1978年 プリークネスステークス(先頭)

ケンタッキーダービー初騎乗初勝利は史上初です。1コーナーで外から来た馬を先に行かせた直後、瞬間的に内から外に出すときの鮮やかさ。一切無駄のない動きと位置取り。この辺りも本当に見事です。

そして伝説のマッチレースとなった2400mのベルモントS

コーゼンは2400mという長距離に合わせて、最初の1000mは絶妙な前傾具合が加わった姿勢で前2レースよりゆったりと乗っている。しかし残り1400mの地点でアリダーが接近してきた瞬間、スッと姿勢が水平に近くなる。

そこからマッチレース。

残り200m。外から馬体を合わせに来たアリダーに前に出られた瞬間、コーゼンは咄嗟の判断で左鞭から右鞭へ鞭を持ち替える(伝説のシーン)。そこからアファームドは差し返す。

史上最強のベルモントSセクレタリアトのものだが、史上最高のベルモントSアファームドとアリダーのマッチレースと言われるのも納得の、史上最高の名勝負です。

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ケンタッキーダービー

ケンタッキーダービー 2番手から

外から1頭上がってくる

外から来た馬を先に行かせた瞬間に外に出す

時間的・空間的な無駄が一切ない

ベルモントステークス

ベルモントS(先頭) 最初の1000mは前傾姿勢。

残り1400mでアリダーが接近してくると姿勢を水平にしてペースアップ

アリダーが息を入れた瞬間にコーゼンは前傾姿勢に戻す

再度アリダーが接近してくると即座に水平姿勢に戻してペースアップ

残り200m。アリダーが前に出る。

コーゼンが咄嗟の判断で鞭を持ち替える

コーゼンがアファームドに対して初めて左鞭を入れる

コーゼンの左鞭にアファームドが鋭く反応して差し返す

アファームドがアタマ差で勝利

ベルモントSの別アングル映像2つ

・その1

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・その2

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1979年~1985年-渡英後3週間でフォームチェンジと初騎乗初勝利、渡英後1ヶ月半で2000ギニー勝利、史上初の英米リーディング達成と英米ダービー制覇達成、英牝馬三冠達成-

渡英して3週間でフォームチェンジしてイギリス初騎乗初勝利。

渡英して1ヶ月半で2000ギニー制覇。

漫画みたいな話ですが、これをコーゼンはあっさりとやってのけました。

イギリスに渡ったのは1979年3月。

前年の1978年、18歳のコ―ゼンはアファームドに騎乗し、アメリカの牡馬三冠を達成しました。しかしその直後から、コーゼンは体重管理からの精神的ストレスなどによる影響で110連敗するなど、それまでの成功の反動かのような大スランプに陥ります。

◆18歳のコ―ゼンが騎乗したアファームドの三冠レース

(特に三冠最後のベルモントSは1400mに渡る世界競馬史上最高のマッチレースで必見)

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・1978年ベルモントSの別アングル映像

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1979年。アメリカ牡馬三冠達成の翌年、コーゼンはイギリスに渡ることを決断します。

といっても、1979年も2月まではアメリカで騎乗していました。しかし、前年からの体重管理によるスランプから抜けられず、アファームドの主戦を降ろされるなど、状況は好転しませんでした。そんなとき、イギリスの馬主ロバート・サングスターから体重管理がアメリカより厳しくないイギリスで騎乗しないかという誘いをコーゼンは受けます(1年間の騎乗契約依頼)。そこでコーゼンは、新たな刺激や復活のきっかけを求めて、1979年3月にイギリスに渡りました。

渡英から3週間後の1979年4月7日、コーゼンはイギリスで初騎乗初勝利を挙げます(中央の赤い勝負服の馬)。この角度の映像だと分かりずらいですが、この時点、つまり初騎乗の時点でコ―ゼンのフォームは変わっています。よく見ると膝の角度が90度に近い状態(つま先~膝~腰で90度の角度を形成)に変化し、馬の動きに合わせて膝を支点に身体を上下に伸縮させています。アファームドの騎乗姿勢と比べると明らかですが、渡英後3週間で、アメリカ時代の騎乗姿勢、支点の作り方と全く異なるフォームに変化して初騎乗初勝利を果たしたのです。



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コーゼンはイギリスに渡ると決断したものの、「いつアメリカに帰ることになってもおかしくないと考えていた」とインタビューで答えています。しかし、初騎乗初勝利という最高のスタートを切ったわけです。

もっとも、イギリスの競馬場の数は多く、コース形態も日本やアメリカより遥かに多様です(起伏や芝の状態がコースごとに全然違う)。約35ヵ所もあるコース全ての特徴を理解するまでには3年を要したとコ―ゼンは語っていますし(それでも尋常ではない速さだと思いますが)、初勝利後もフォームの修正や改良は続けています。

(※以下のインタビューを参照

Welcome Back, Kid - Sports Illustrated Vault | SI.com

Racing Greats - Steve Cauthen - Racing TV - YouTube

初騎乗初勝利から1ヶ月後、渡英から約1ヶ月半後、アファームドでの三冠達成から約10ヶ月後の1979年5月5日、19歳になったばかりのコーゼンは、イギリスの2000ギニーをTap On Woodで勝利します(21頭立て20番枠、道中は馬群大外の最後方)。日本式でいえば単勝20倍くらいの人気薄の馬で、圧倒的一番人気の無敗馬Krisを負かしました。こちらの映像は分かりやすいですが、フォームが完全にヨーロピアンスタイルに変わっています。膝下が馬体に対して垂直に近い状態のまま微動だにせず、上体(膝から上)は弾むように上下に動きながら、軸も上下動のリズムも一切乱れないコーゼン独特の追い方で、いきなりイギリスのクラシックレースを勝利しました。

先頭の騎手がコーゼンです。渡英から2か月後の時点でフォーム変化はほぼ完成しています。



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アメリカ時代とイギリス時代のコ―ゼンのフォームについては、以下の2つのエントリーをご参照ください。

stevecauthen.hatenablog.jp

stevecauthen.hatenablog.jp

フォームを3週間で変えたことも凄いですが、レース体系の変化に適応する能力、仕掛けのタイミングやレースの流れを瞬時に把握するレースセンスが高くなければ、初騎乗初勝利から1ヶ月で2000ギニーを勝つことなど絶対にできません。コーゼン自身は「19歳という若さがアドバンテージだった。若い時期だから異なる環境に適応することができた」と語っていますが、それだけでこの結果を出せるものではありません(ただ、逆にといいますか、コーゼンの逸話を知ると、40歳を超えて地方から中央へ移籍し、乗り方を変えて全く異なるレース体系に適応し、圧倒的な成績を残した安藤勝己の凄さもあらためて分かります)。

武豊騎手がコーゼンのアメリカ時代とイギリス時代のフォームの違いの凄さを語ったインタビューがありますが、フォームが違うだけでなく、フォーム変化の速さ、異なるレース体系やコースへの適応能力が桁違いです。

number.bunshun.jp

※コーゼンが勝利した2000ギニーに関する英文記事(George Selwyn’s 2,000 Guineas memories - The Owner Breeder

※45分にわたるコーゼンのドキュメンタリー番組のまとめ(ヘンリー・セシルのインタビュー等もあり)はこちら。

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  以下に載せる同年6月のアスコット競馬場でのGold Cupは3着に敗れますが(最内枠の緑の勝負服)、このレースでも直線の追い方だけでなく、アメリカ時代の静止画像のように真っ平で水平な姿勢とは異なる姿勢のコ―ゼンを見ることができます。

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 同年11月、コーゼンは大井競馬場に招待され、2週間計4日間、大井競馬場で騎乗しました。他のエントリーにも載せましたが、その時の貴重な映像が残されています。

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2000ギニー勝利後も着実に勝ち星は挙げていき、G1も勝利していきますが、その後しばらくはイギリス(ヨーロッパ)ではクラシックレースなどの「ビッグレース」を勝つような機会には恵まれませんでした。

転機となったのは、他のエントリーでも取り上げた1983年のDubai Champion Stakesでの「神騎乗」、コーゼンの代表的な騎乗として必ず取り上げられる、20頭立て最後方から馬群を捌いて勝利した、23歳のコーゼンによる圧巻の騎乗です。

◆1983年 Dubai Champion Stakes

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stevecauthen.hatenablog.jp

このレースを機に多くの関係者から声がかかるようになったコーゼンは、1984年に初めてイギリスでリーディング(チャンピオンジョッキー)を獲得することになります(1985年、1987年の合計3回獲得)。アメリカとイギリス両方でのリーディング獲得は史上初で、現在までコーゼンただ一人がもつ記録です。

翌年の1985年、後にフランケルも管理することになる名調教師ヘンリー・セシルとコンビを組み、25歳でイギリスダービーを69年ぶりの逃げ切り、それも大逃げで勝利します。このとき、世界の競馬史において初めてケンタッキーダービーイギリスダービーの双方を制した騎手が誕生しました。

◆1985年 イギリスダービー Slip Anchor

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◆1978年 ケンタッキーダービー Affirmed

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また同年1985年は、Oh So Sharp牝馬三冠を達成し、アメリカでは牡馬三冠、イギリスでは牝馬三冠を達成した年でもありました。今のところ、これがイギリスにおける最後の牝馬三冠です。

◆1985年 コーゼンとオーソ―シャープ (Oh So Sharp) による牝馬三冠レース(イギリスの牝馬三冠目は牡馬と混合のセントレジャー

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1985年はコーゼンのキャリアの中でもピークといえる年です。

しかし同時に、20代後半に入ったこの頃から体重調整がさらに厳しくなり、鬱とアルコール中毒で精神科に通う状態にまで追い込まれ始めていました。もしかしたら25歳前後の時点で、コーゼンは自身の残りのキャリアは長くないと考えていたのかもしれません。

本ブログでも取り上げていますが、イギリスダービーでの大逃げ圧勝も含めた「ペースメーカーの存在無視の果敢な逃げ」によるヨーロッパの大レースの数々の勝利、「逃げて差す」かのような「変化自在の逃げ」、自在な位置取りと脚質転換、20頭立て最後方から馬群を縫ってゴボウ抜き、40頭立て最後方から馬群を縫ってゴボウ抜き、道中の位置取りから仕掛けのタイミングまで一分のミスもないアメリカ牡馬三冠での騎乗、ベルモントSでの伝説のマッチレースと鞭の持ち替え・・・。コ―ゼンが見せたレースの「極端さ」の幅は、レスター・ピゴットやランフランコ・デットーリをも上回ると思います(映像は残っていませんが、デビューから約1年後の16歳のとき(1977年4月)、レース序盤のコーナーで鞭を落としてしまったあと、いっさい慌てることなく離れた最後方を進み(ポツン騎乗)、直線を向いても最後方、そこから馬群を離れた外も外、大外の大外に進路を取り、右手を鞭の代わりに使用して馬の首を叩きながら馬を追い、最後方から大外一気の追い込みを決めて勝利したそうです。リンク先の記事にも書かれていますが、このデビュー1年後、16歳の時期のコーゼンの騎乗を、アメリカの殿堂入り騎手パット・デイが激賞し、後輩のコーゼンに向かって直接賛辞を送っています)。しかし、レースだけに集中して乗れた期間は本当に短いものでした。コ―ゼンと同時に騎乗していたイギリス人騎手マイケル・ヒルズは「1985年からの約3年間は文句なしに世界一の騎手だった」と語っています。それは裏を返せば、1980年代後半、30歳になる前の段階で、騎手としてのピークは過ぎていた、下降気味だったということでしょう。

なお、2024年時点では、ケンタッキーダービーイギリスダービーを両方制した騎手は、スティーブ・コーゼンただ一人です。しかし、ケンタッキーダービーイギリスダービーの両方を制する騎手は、今後、再び出てくる可能性はあると思います(遠征などの一発勝負で勝利することも可能なため)。しかし、アメリカとイギリスという、競馬大国かつレース体系が全く異なる二つの国でリーディングを獲得する騎手は、二度と出現しないと私は思います。日本ではあまり取り上げられませんが、コーゼンが残した功績は、それくらい、競馬史上に残る偉業なのです。