スティーブ・コーゼンの軌跡

英米でリーディングに輝き、5か国のダービーを制覇した天才騎手スティーブ・コーゼン (Steve Cauthen) に関する情報を記載します。

1977年 デビュー2年目(17歳)のコーゼン -アメリカ時代のフォームやエピソードについて-

ここではアメリカ時代のコ―ゼンのフォームについて取り上げたいと思います。

1976年に16歳でデビューし、1977年には2000レース以上に騎乗して487勝という驚異的な記録を残して全米リーディングに輝きました(コ―ゼンより5つ年下の天才ジョッキー、クリス・アントレーもデビュー2年目に469勝と近い成績を残しています)。

しかも、怪我で1ヶ月ほど休養期間があったうえでの記録で、怪我がなければ500勝以上はできたとのこと(2022年に行われた以下のレーシングポストのインタビュー映像にて(3:30~)Racing Greats - Steve Cauthen - Racing TV - YouTube)。

そして1978年、アファームドに騎乗して三冠ジョッキーに輝きます。ケンタッキーダービー初騎乗初勝利も史上初の出来事でした。

※ヨーロッパ時代のコーゼンのフォームについては以下のエントリーをご参照ください。

stevecauthen.hatenablog.jp

 

以下はデビュー2年目、17歳のコーゼンの特集映像です。

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上記の動画を参照しながら、まずは直線でのフォームから見ていきましょう。

鐙の長さはヨーロッパ時代より短めで、膝支点で上下に動く(膝の角度が90度のまま上下に動く)ヨーロッパ時代とはあきらかに異なるフォームです。両時代のフォームの共通点は、ブレない下半身と軸、そして馬のリズムに合わせて上半身(膝から上)を寸分狂いなく動かせるところ。そして、足の先から腕・指先まで詰まりなく連動して伸縮するところ。腕があまり動かなかったり、腕だけ取ってつけたような追い方になったりするところが全くない。ただ、これはフォームの共通点というより、騎手としてのコ―ゼンの素晴らしい部分を挙げているだけともいえますが・・・。

ヨーロッパ時代はより顕著に分かりますが、コーゼンは上半身の使い方が非常に上手い。微動だにしない下半身に、馬と寸分狂わぬリズムで上半身を使い、腕の動きも身体全体と連動している。まさに「全身を使って馬を追う」ことができる騎手でした。アメリカ時代の追い方も、ヨーロッパ時代ほど目立ちませんが、17歳の時点で、全身で馬を追うことができています。

さきの動画中には水平に身体を伸縮させるコーゼンのフォームがアップで映っていますが(2:28~)、以下のアファームドのドキュメンタリー動画中のアップ映像(10:44~)で分かるように、アメリカ時代でも馬のリズムに完璧に合わせて上下にも身体を動かしています。そして馬が馬体を縮めるとき、コーゼン自身も限界まで身体を縮めることができる。鐙の長さはかなり短く、馬体にへばり付くような姿勢になっていますが、下半身は微動だにせず馬の身体に沿うようにコーゼン自身が身体を縮めるので、馬に対して負担がかからない。こういう追い方が17歳の時点で既に、完璧にできたわけです。

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下半身と軸が全くブレないまま、上体(膝から上)を馬のリズムと完璧に連動させて動かすことができる。特に、腕の動きと身体のほかの部分との連動が見事です。これは頭で考えてできる動きではありません。「自ずから」腕と他の身体の部分、全身が連動して動いていたのでしょう。

多くの騎手(特にデビュー直後の若手の騎手)は、腕と身体が連動していません。下半身や胴体を固定し、「腕は腕」という感じで、腕が他の部位と連動しないまま追っている。もっと言えば、「自ずから」ではなく「頭で考えて」身体を上下動させたり必要以上に腕を動かしたりしている。そうなると、当然、馬の動きと騎手の動きのリズムもズレてしまう(2005年のJCダート武豊、横山典弘、ケント・デザーモのように、全盛期の名手は、全身の連動が見事です)。

しかし、17歳の時点から(おそらくデビュー初年度から)、膝から下は微動だにさせないまま、コーゼンは全身を連動させて馬を追うことが出来ていました。

・上体を起こしながら馬の腰に鞭を入れる

・鞭を入れた後、身体を縮めると同時に手が自ずと前に来る。

腕と身体のほかの部分が完全に連動しているとはこういうことです。これは、優れたダンサーや舞踏家などと共通する動き。というより、ダンスなどでも初心者の場合、いくら身体能力が高くジャンプ力等が優れていても、腕だけ身体と連動せずに別に動いてしまう(腕の動きだけ置いてきぼりになる、腕は腕という動きになる)場合が多い。それくらい、腕と他の部分、ひいては全身を連動させて自然に動かすことは難しいわけです。

コーゼンはデビュー当時から、完璧といえる鞍はまり(安定した下半身と馬上での位置)に加えて、全身を連動させて馬を追っていました。これを当たり前に、そして完璧に出来たことがコーゼンの凄さであり、アメリカでもヨーロッパでも競馬史に残る活躍をすることができた大きな理由だと思います

 

※1977年1月に行われたコーゼンへのインタビュー動画です。

動画内の騎乗映像がいつかははっきり分かりませんが、1976年のデビュー年のものかもしれません。

道中の姿勢も追い方も、基本的には完成されていますね。特に道中の姿勢と下半身の位置(鞍はまり)は他の騎手と全く違います。本当に最初から異次元だったということです。

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映像は残っていませんが、このインタビューが行われた3か月後、16歳のコーゼンは、レース序盤のコーナーで鞭を落としてしまったあと、全く慌てることなく平然と離れた最後方を進み(ポツン騎乗)、直線を向いても最後方、そこから馬群を離れた外も外、大外の大外に進路を取り、右手を鞭の代わりに使用して馬の首を叩きながら馬を追い、最後方から大外一気の追い込みを決めて勝利したそうです。

 

道中の姿勢も、アメリカ時代とヨーロッパ時代では異なります。

以下は1977年に2歳時のアファームドで勝利したLaurel Futurityの映像です。

道中2番手。背中が文字通り真っ平、一人だけ静止画像をコマ送りしているかのように姿勢が乱れません。スキーのジャンプ競技における飛翔前滑走時のフォームのよう。スタートからスピードに乗せるアメリカ競馬の道中の姿勢としては、アメリカ時代のコ―ゼンの姿勢が究極形といってもいいくらいだと思います。

アファームドとコーゼン(2番手)

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付け加えるなら、直線の追い方も2着のJ.ベラスケスと比べて見ていただきたいです。

ベラスケスの上体は微動だにしませんが(頭の位置も変わらない)、コーゼンは馬の伸縮運動に合わせて身体が寸分狂わず上下に弾むように追っています。それでいて軸がブレません。アメリカ時代もただ水平な姿勢で馬にへばり付くように追っていたわけではなく、イギリス時代同様に上体も使って全身を連動させて追えていることが、J.ベラスケスの追い方と比較するとよく分かります。

イギリスに渡って以降は、たとえスプリント戦であっても、道中ここまで水平な姿勢で乗ることはありませんでした。

なお、アファームドの騎乗レース以外にも、1977年のコーゼンの騎乗姿(G1勝利)が映っている映像が残されています。ジョニーデイで勝ったワシントンDC国際競争の4コーナーから直線の映像です。

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この短い映像からだけでも、コーゼンの騎乗フォームの素晴らしさが分かります。完璧な鞍はまり(特に最終コーナーで、コーゼンだけ静止画像のようにピタっと馬上にいながら、ジョニーデイは弾むようなフットワークで抜群の手ごたえで回ってくるところは見ていて惚れ惚れします)。馬のリズムと完璧に連動して弾むように追う姿。弾んでいながら「重力」を全く感じさせることがない全身の連動。馬が本当に気持ちよさそうに走っている。他の「天才」と呼ばれる騎手と同様に、アメリカ時代のコーゼンについても「コーゼンが乗っていた馬が他の騎手に乗り替わると勝てなくなることがよくあった。コーゼンが乗ると馬が走るフォームがガラリと変わってしまった。」という証言が残されています(リンク先動画の6:29~)。競馬関係者から見ると「同じ馬が別の馬のように動く」という「天才」と呼ばれる騎手に共通する要素を、コーゼンも持ち合わせていたという同時代人の貴重な証言ですが、アファームドやジョニーデイでの乗り方、騎乗フォームを見れば、同時代人でなくとも「そうだったのだろう」と分かります(凄い成績や記録を残しているということと、「同じ馬が別の馬のように動く」のかどうかは、別の問題です)。

 

おまけ:

ちなみに1977年は、日本で福永洋一皐月賞ハードバージ)で伝説の騎乗を行った年でもあります。

以下は中日映画社が公開している、定点カメラで記録されたハードバージ皐月賞です。

初めて最後の直線で「消える」瞬間をこの映像で初めて見たときは鳥肌が立ちましたね。戦慄とか、畏怖とか、それに近い感情でした。

福永洋一を追ったドキュメンタリー『セントウルへの道』では、この中日新聞社の映像のカラー版を(レース全体ではないですが)見ることができます。

直線の進路変更の箇所はしっかり全てカラーで見ることができる貴重な資料です。

※追記

ここで敢えて書きますが、中日新聞社のカラー映像は定点カメラからの映像でカットの切り替わりがないため、Youtube に上がっているフジテレビ版とは違った印象を受け、意外な発見もありました。馬群が思っていたよりずっとバラけている点がまずひとつ。それから、外のアローバンガード(3着・柴田政人)からずっとプレッシャーを受けながら狭い個所を抜けてきたと思っていたのですが、進路変更前も進路変更後もそこまでキツくプレッシャーを与えられているわけではない点と、進路変更後の前方方向は十分に開けていて余裕がある点などです(フジテレビ版だと内に潜り込んだ後もハードバージの周りに馬群が密集し、プレッシャーをかけられて前方の進路が一頭分開いているか否かくらいに見える)。進路変更前にハードバージの前を走っている赤帽6番パリアツチの動きとハードバージの動きに集中し、周りの馬に惑わされずにレースをご覧になってみてください。フジテレビ版の映像で感じる「瞬間移動」のような動きは、映像の角度とタイミングによる「目の錯覚」だと分かると思います(パリアツチが外に移動している所とハードバージが内に切れ込む瞬間が重なっているために、まるでパリアツチの馬体を貫通(透過)しているが如く見えますが、これは『目の錯覚』です)。それでも、あの状況で一頭分、内側に移動する捌きは凄い技術であることは事実ですが、「空馬が進路を探しながら馬群を縫っているような技術」「進路なんてなかった。ラチの内側を走ってきたと思った」「ハードバージの捌きができるのは福永洋一だけ」というのは、はっきり言いますが過大評価です(過去・現在のJRA所属騎手で同じ捌きができる人間は存在しない、というのはおそらく正しいが)。同レースに騎乗していた当事者だからこその「錯覚」と、フジテレビ版の映像による「目の錯覚」により、ハードバージ皐月賞は過大評価されていることは、ここで指摘させていただきます(それどころか福永洋一からすると、あの捌きも含めて、このレースは周囲の人間がいうほど「難しくなかった」可能性すらあるのでは・・・)。福永洋一が天才騎手であることにも、JRA史上最高の騎手であることにも全く異論はありませんが、見当はずれなところでの神格化は、福永洋一の評価にマイナスに働くと思うのです。

以前、福永祐一・現調教師のインタビューで、福永洋一は1980年代にヨーロッパに遠征する予定だったと読んだ記憶があります。

もし、あの落馬事故が無かったとしたら・・・。

ティーブ・コーゼンと福永洋一がヨーロッパで共に騎乗し、競い合っていた可能性も「あり得たかもしれない未来」としてあったのです。

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