「馬群をこじ開ける」という表現が、これ以上相応しいレースが存在するのか。
2022年にレーシング・ポストがコ―ゼンに対して行ったインタビューでも取り上げられていた、コーゼンの名騎乗として必ず名前が挙がるレース。圧巻の馬群捌き。
アスコット競馬場 1m 1f 212y (約2004m) で行われる伝統のG1レースです(現在は英チャンピオンSとして継続されているレース)。
最内シンガリにいるのが、弱冠23歳のコーゼン騎乗が騎乗する Cormorant Wood。
とんでもない所を捌いてきます。これが23歳の騎手の騎乗なのか。
同レースに騎乗している他の騎手の顔ぶれも凄い。
80年代ヨーロッパ騎手のオールスターメンバーの様相です。レスター・ピゴットやフランスの至宝イヴ・サンマルタン、ランフランコ・デットーリの父親であるジャンフランコ・デットーリなども騎乗していました。
馬群捌きの技術の凄さはもちろんのこと、これだけの馬群密集地帯でも慌てずに待ち、一頭分のスペースを見つけ出す冷静さと頭脳。自らの馬の進路変更時も、前の馬の影響で急に進路が塞がれたときの対応時も、一切ブレない軸。すぐに体勢を立て直しながら進路を探して2頭の間に突っ込む勘と判断力、そして胆力。このレースには、騎手・スティーブ・コ―ゼンの凄さが詰まっています。
なお、私は最初にこのレースを見た時、残り200m付近で馬群の密集地帯にコーゼンが進出を開始した際は(上記動画1:54~)、追いながら斜めに進行したのかと思いましたが、そうではありません。
上記動画のリプレイ部分を見るとよく分かりますが、最後に馬群の狭い箇所に進出する際、まず一頭分、安全に右側へ進路変更しています。そして進路変更後に追い出しを開始しています。リプレイ部分で解説者が "nearly dirty"(進路妨害スレスレの騎乗)と言っていますが、決してそんなことはありません。他馬への不利は全く与えていません。
その後にブレーキをかけたのは、前にいる赤い勝負服の馬(17番)がラチ沿いから外にヨレて急激に進路変更したためです(上記動画の6:25~)。コ―ゼン自身に非はありません。進路変更→ブレーキ→再度進路変更まで、周囲の騎手が全く挙動を変えておらず、手綱を引いたり立ち上がったりするような行動をしていないことも、そのことを示しています。前の赤い馬の急な進路変更を受けてブレーキをかけますが、簡単に馬を御して態勢を立て直しつつ即座に進路を変更し、前2頭の間を割ったところがゴール。
以下はリプレイ動画から。
馬群が壁のように密集し、全ての馬が全力で走っている地点で自身は進路を塞がれながら、コーゼン自身は他馬にいっさい不利をあたえずに態勢を瞬時に立て直しつつ、一頭分のスペースを見つけスパっと進路変更を行い、馬群をこじ開けました。これだけ冷静かつ的確な判断をして馬込みを捌ききったのは、まさに圧巻の一言。
ちなみに、このドバイチャンピオンSの2週間前、コーゼンは同じく Cormorant Wood に騎乗し、なんと逃げて勝たせています。コ―ゼンも「ゲートが開くまでどういうレースをするか分からない」変化自在のレースを行う騎手だったことが、この事実からも分かります。
ドバイチャンピオンSでの騎乗を契機に、コーゼンに対してヨーロッパでも多くの関係者から声がかかるようになり、このレースから2年後の1985年、コーゼンは25歳でイギリスダービーを制覇することになります。後にフランケルも管理する名調教師ヘンリー・セシルとコンビを組み、スリップアンカー (Slip Ancor) に騎乗してイギリスダービー史上で69年ぶりの逃げ切り、それも大逃げでイギリスダービーを圧勝しました。このとき、世界の競馬史上で初めてイギリスダービーとケンタッキーダービーの両方を制覇したジョッキーが誕生しました。
※追記
以下の動画の56:49~から、定点カメラからの別アングルの映像を見ることができます。
下がってきた前の馬を瞬時に捌いてラチ沿いに進路変更し、馬群を縫って先頭まで突き抜けてくる様が、カメラの切り替えなしに克明に記録されています。
コーゼンの神懸った馬群捌きが見られるもう一つのレース、1990年の William Hill Cambridgeshire Handicap については、以下のエントリーで詳しく書きましたので、ご興味のある方はご参照ください。